30,   少年の想い出 〜新聞紙の部屋〜    2010.11.22

 曇りがちな日曜日の昼下がり、窓辺から淡い陽の光が畳に座った少年と少年の父親を照らして

いました。時折、羽田空港発着の飛行機の音が聞こえ、窓から空を見上げると大きく見える飛行

機がゆったりと飛ぶ姿を見るのが日常になっていました。

 東京都品川区の京浜急行「立会川駅」のホーム横に建つ比較的小規模な鉄筋コンクリート4階

建、2DKの家族4人で住むには少々手狭なアパートの3階でした。毎晩家族4人(父・母・姉

(小1)・弟(5才))が寝ている6畳間の(マンションサイズの6帖で正確には5帖くらいで

しょう)窓際にはこの春「鮫浜小学校」に入学したばかりの姉の勉強机とオルガンが並べて置か

れてありました。この日の日曜日は珍しく、朝から母親と姉がデパートへ買い物に、父親と少年

は二人で留守番をしていました。

 昭和42年、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の「三種の神器」が普及していった高度成長時代、銀行

員であった少年の父親はこの時代の大半のサラリーマンがそうであったようにほとんど帰りは

深夜であったようです。平日の夜は飲めない酒のおつきあい、日曜日はゴルフの接待とサラリー

マンの父親が家に居る事はほとんどなくてあたりまえの時代でした。当時は父親が子供の学校の

入学式や卒業式に出席する事は稀な(あり得ない)そんな時代だったはずです。電話はまだ一般

家庭には普及しておらず「呼出し電話」なんて普通でした。

 滅多に無い事ですが、たまたまその日は父親が家に居ました。少年の父親は普段はいっしょに

遊んであげれていない息子に何をして遊んであげようか考えたようです。突然、父親が息子であ

る少年に言いました。「今日はお前の部屋を作ってやる」。

「えっ!」息をのむ少年。滅多に会えない父親が日曜日にいっしょに居ていっしょに遊んでくれ

るのもけっこう凄い事のはずなのに「自分の部屋を作ってくれるってぇ・・・」


「今日はお前の部屋を作ってやる」。父親は言葉を続けました。「ただし、今日一日だけのお前

の部屋だぞ。夜なったら壊すからな」。少年はドキドキしました。夜になったら壊される今日一

日期間限定の部屋であっても自分の部屋なんて考えた事もなかったはずですし、この時はまだ夜

になったら壊さなければいけないというリアリティーがなく、とにかく自分だけの部屋が出来る

事に興奮していたのでした。

 さっそく父親は少年の期間限定部屋を作り始めました。造りはいたって簡単、新聞紙の端と端

を糊で貼り合わせ天井から床までの高さの簾を作り、窓際の姉のオルガンを L 字型に囲むように

天井から吊るしたのでした。正面は窓、右横は室の元々の壁、後ろと左側の壁はこの簾状の新聞

紙の壁といった具合です。左側の新聞紙の壁にはご丁寧にも窓を切り、上が蝶番と考えて下から

ペロンとめくり上げるとオルガンの隣にある姉の勉強机が見えるという細工です。

 何故?今日一日だけの期間限定なのか?少年は理解していました。夜寝る前までに壊さなけれ

ば家族が寝れないからです。家族はこの一室に4人布団を敷いて寝ていました。


 夕方、母親と姉が買い物から帰って来ました。少年はというと、もう嬉しくて嬉しくて完成し

た新聞紙の部屋の中ではしゃいでいました。はしゃぐと言っても広さは畳1帖強くらいのスペー

スです。でも実際オルガンの椅子の上をピョンピョン跳ねていました。新聞紙の部屋が少年には

鉄腕アトムの未来都市の中にでも居るかのような気分だったはずです。左側の小さな窓から眺め

る風景はというと気分はきらめく大宇宙であったはずです。正面の窓から見える飛行機が飛ぶ姿

は大袈裟ではなく「鉄人28号」に見えたはずです。

 さて、ここから増築が始まりました。帰って来た姉が羨ましがったからです。今度は姉の勉強

机の後ろに新聞簾を吊るし、そうする事で長屋状の二部屋が完成した訳です。少年と姉の部屋の

仕切り壁の窓を開けるとお互いの部屋が覗ける状態です。午後6時頃少年の興奮はピークに達し

ました。このくらいからだんだん取り壊しの時の気持ちと今の嬉しい気持ちが交差するように

なってきて徐々にただ喜んではいられない心境になってきたのです。

 その日の夕食は少年が大好物であったカレーライス(たぶんハウスバーモントカレー)だった

ようです。でもその時の少年にはカレーライスよりも自分の部屋の方が大事でした。母親から

「ご飯だから出なさ〜い!」と言われ姉は素直に出て行きましたが少年はどうしても出る事が出

来ませんでした。1分でも1秒でも長くこの部屋に居たかったのです。新聞紙の部屋に居ても何

があるわけではなくただ居るだけなんですけどね。ただ部屋に居るだけ、それだけでとても嬉し

かったようです。

 しかし午後8時過ぎ、とうとうその時が来てしまいました。無理矢理引っ張り出されたのでは

なく、自ら出る事になったのです。ホントに泣いていました。部屋を出たくなくてずっとトイレ

を我慢して我慢してとうとう力尽きてしまったのです。新聞の部屋の床はベチョベチョに濡れて

いました。少しは涙も混ざっていたと思います。父親と母親は少年を叱りはしませんでした。

 建築の善し悪しはお金でも広さでもありません。小さな家でも、質素な素材で出来た家でもそ

こに気持ちがあれば十分立派な家になります。新聞紙で出来た小さな部屋だってこんなに感動を

呼ぶ力に満ちるのですから。

 父親は夢にも思わなかったと思います。この時の空間体験の感動が少年の将来を決めようとは。

少年は現在小さいながらも建築設計事務所を構え、建築家として活動しています。

一生懸命、好い仕事をするとその先に喜びや笑顔があります。新聞紙の部屋での自らの体験がこ

の喜びや笑顔を教えてくれました。もちろん建築が好きなのですが、もう一歩先に進んで常に

「その先にあるもの」まで行き着きたいと思います。



きっかけを作ってくれた今は亡き私の父に感謝です。